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私のルーツ

先日父と家族を連れだし、古くからお世話になっている方を訪ねた。一番訪問を望んできた母がいないのは、非常に残念だったが、あっという間の3時間の再会であった。私は幼少期、大田区の古アパートで育った。まさに労働者の町、下町であった。新婚時代に過ごしたアパートで私は生まれた。そこには同じような年齢のワンパク連中や乙女がたくさん住んでいた。お互いに子どもを預けあったり、世話したり、下町にありがちの風景の中で私は育った。アパートをでた道には側道があり、蓋もしてあったが、どぶ川が流れていた。幼稚園への入園を期に、所沢の地へ移転することとなるまで、いわゆる私のルーツは下町だった。そんなお世話になった方々の中でも一番お付き合いが深かった方を今回は50年ぶりくらいに訪ねた。50年ぶりというのは、そのご主人とは50年だが、他の娘さんや奥様(おばさん)たちとは、何年かに1度は会っていた。母の死を期にして、思いきって手紙を出してみた。しばらくたっても返事がない。こちらが気にしているほど気にかけていないのかな、かえって負担になっているのかな、もうこちらから返事を期待するのはやめよう、と思っていたときに、思わぬ電話をいただいた。「会いましょう」というお知らせだった。日程を調整して、家族にも告げ、父を連れてそのお宅へ訪問した。一家全員で玄関でお迎えをうけた。涙がこぼれた。今までの思いがはちきれた瞬間だった。母の分まで涙した。あっという間の3時間。再会を約束して、年老いた恩人のご夫婦や娘さんたちとお別れをした。家の角の道まで、足が悪いのにもかかわらず見送っていただいた。「また来てね」ということばに、また涙があふれた。私のルーツの方々。アパートの裏の銭湯に、私を連れて一番風呂に入れてくれた恩人。父曰く、お前の第二の母親だ。まさにそうである。しかも、今回の訪問で初めて知ったことだが、父も恩人のご主人も同じ昭和3年1月生まれ、しかも母同士が昭和8年生まれ。そんな境遇が、50年たっても強い絆となっているのだろう。今もアパートのあった京浜急行のある駅。京浜急行の朱色のボディーを見ると、今でもあの時代に戻る。懐かしき良き時代、私のルーツになった京浜急行。近くの海の潮の香りが、今も忘れることができない。体に焼き付いている記憶。恩人のおばさん曰く、「朝起きて、アパートの2階
からゆっくりと1階に下りてくる幼児の足音、そのうち自分たちの部屋に入ってくる幼児の顔、それが、あなた」。そんな幼児期を過ごした下町、今はもうなくなったアパート。母がなくなる前に、長男と父と母とアパートの跡地に訪れたことがある。その当時から商売をされている八百屋さんのご主人夫婦と母が、いつまでも長話をしていたことを思い出す。「また連れてきてね」と言った母。かつて存在していたオールウェイズの世界のような古びた威権のあるアパート、今はどれも、いない。しかし私の心には残り続ける。まるで、ジョンレノンのインマイライフのような景色が私の心の中にある。私のルーツ。。。。。
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