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市谷台からの景色

久しぶりの休みを活用して、市谷にある防衛省の施設見学ツアーに参加した。物々しい警備の中をIDカードを受けとり、ゲートを通過し、いよいよ本丸へ。六本木から新しくなった施設の建物を通り越し、あの建物の前に。教科書で見慣れているはずの記念館(第一庁舎)は意外と小さかった。ここで東京裁判も、三島事件も起きた場所、と思えないほど整っていた。感慨にふけっているときに、ガイドさんからの声かけを聴き、いよいよ中へと進む。靴を脱ぎ、青いスリッパに履き替え、大講堂へ。そこは別世界だった。奈良材の寄木をいくつも重ねた床。しかもよく見ると、歪んでいる。というよりも山なりになっている。正面には玉座が凛凛と立つ。そんな冷静な観察も中断され、ガイドさんの指示のとおり準備された椅子に座り、ビデオを視聴する。この大講堂の歴史を教えてくれるビデオであった。東京裁判のシーンでは、ビデオを止めて、実際の現場で検証までしてくれる防衛省のサービス。ビデを終了とともに、大講堂での自由見学。様々な展示物を満喫するには時間がない。一気に見学した後にトイレ休憩。そして、もともと2階にあった1階の大講堂を後にして、2階へと誘導される。もともと建物は陸軍師範学校の建物。最初に案内されたのは校長室。のちに大本営では、陸軍大臣室。そう、あの三島事件の現場の部屋。部屋のガラスからバルコニーを臨む。三島由紀夫が演説をしたバルコニー。三島と同じ目線で世間を観る。なんともいえぬ感情が湧く。さらに扉には三島が切りつけた刀の傷跡が三か所。本気度を体で感じた瞬間だった。さらに隣の部屋へ。天皇が控えていた特別部屋。昔風のエアコン完備の部屋。どんな思いで控えていたのか。。。何枚か写真を撮り、外へ出る。そこで見学者の点呼。こんな場所に一人で残る人がいるとは思えないが、防衛省のルーチーン。その後、様々な場所に案内されたが、あの記念館の放つ異様な空気に勝つ場所はなかった。最後は、殉死された方々の記念塔へ。そして解散。帰り道は、三島の顔が脳裏に浮かび、どうも落ち着かない。自身で腹をさばき亡くなったが、常人ではできないくらいの傷だったらしい。腸は腹から飛び出し、眼は見開き、体は硬直したため、うまく首を落とす介錯が出来ず、役割を担った森田氏は3回損ねたそうだ。その本人は仲間に一発で介錯されたという。盾の会という思想集団を率いた三島由紀夫。覚悟を完全にした末の結末。言葉がない。そんな市谷台を去る時に、どこからともなく流れてきたビートルズ。1970年の三島事件、1970年のビートルズの解散。どれも大きな時代の一事件だったのかもしれない。
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